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3年間の米国留学から帰国したのは1985年の春だった.ボスの小川教授に帰国の挨拶を済ませ,白衣を羽織って病院内をふらふら歩いていると,院内の歩道橋の向こうから,両手を包帯でぐるぐる巻きにした少年が,担当医に付き添われて慌てて病室に戻ろうとしていた.よくみると,真っ白な包帯から鮮血が滴り落ちていた.後で聞くと,彼は劣性栄養障害型表皮水疱症で,癒着・変形した手指に対して指間形成術を受けた患者さんであった.術後経過がよく,ひとりで院内をうろついていて,転んだか何かして手を強打したために出血してしまった直後であった.このときには,私が水疱症の専門外来で,自己免疫性水疱症に加え表皮水疱症の患者さんたちとの付き合いが,またこの憎むべき水疱症との闘いが始まるとは夢にも思っていなかった.
表皮水疱症は周知のように大きく4型に分けられる.そして,今や遺伝子解析が進み,コラーゲン,アンカリングフィラメント,ケラチンなど病型ごとに病的な構造蛋白とその遺伝子異常が明らかにされ,出生前診断も進んできている.しかし,現に診断を下された患者さんの予後は,特に劣性栄養障害型表皮水疱症では非常に厳しく,本人のみならずその家族にとっても,依然として過酷である.皮膚科医でも一度も経験しなくても済むことがあるような稀少難治の病気であるが,私は1985年から大学を辞して郷里に戻るまでの8年の間,実に多くの表皮水疱症の患者さんと出会い,この難病との付き合い方と闘い方を学んだ.語弊はあるが,単純型,接合部型,優性栄養障害型では,生じた水疱を我慢強く処置していけば,必ずトンネルから抜け出せて,病気と仲良く付き合っていくことができると私は思う.しかし,最重症型の劣性栄養障害型ではどうだろう.トンネルの出口はなかなか見えてこない.わずかではあるが,よい治療効果を見せて患者さんに納得してもらいながら,「がんばろうね」といってはみても,当然治癒には至らず,本当によくなったといえる全体像は現実には見えてこない.患児の瞳は頬のこけた特徴的な顔貌のために強調されているだけではなくて,とても澄んでいる.この澄んだ瞳で見つめられると,研究成果を実際の治療にもっと早く効果的に反映させられないものかと,何度となく歯がゆい思いをした.トンネルは長いけれど,その行く手を照らして先導する役目を臨床の皮膚科医は担わなければならない.とにかく,小さな臨床効果の積み重ねではあっても,医師自身が自信を持って患者さんに成果を示し,先頭に立ってこの難病に立ち向かわなければならない.大学を辞してなおも,当時の戦友からの相談,病状の報告を受ける現在,いまだ終戦は幻のようにも思える.研究の最前線にいる先生方には,少しでも早くこの厄介な難病の克服法を確立して,トンネルの出口を示していただきたい.
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