教育月評
連合赤軍事件は戦後教育の責任か
伊ヶ崎 曉生
1
1国民教育研究所
pp.376-380
発行日 1972年6月25日
Published Date 1972/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906600
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1.あまりに残酷,あまりにも無謀
この2月19日午後,連合赤軍の坂口弘ら5人が牟田泰子さんを人質にして‘あさま山荘’にたてこもり,2月28日,10日目に警官2人の死亡という事態をひきおこしながら,5人が逮捕され,泰子さんが救出され,3月7日以来14人の連合赤軍内部のリンチ殺人事件の遺体発掘がおこなわれた事件ほど,国民に大きなショックを与えたものは,戦後あまりなかったのではないかと思われます.あまりにも残酷,あまりにも無謀,その事実を知ること自体が苦痛をともなうものでした.
彼らは‘鉄砲から政権が生まれる’という毛沢東のことばを一途に信じて,国民のことなど眼中になく,鉄砲店強盗,銀行強盗などの犯行を重ねて武器と資金を集め,その武器を警官だけでなく,国民に,そして彼ら内部にむけたのです.‘65年,ML派が分裂したのでイヤ気がさし,毛沢東思想に関心をもち始め,著作を読んだ.これが原因で現在の闘争になった’(‘毎日新聞,3月16日)という永田洋子の自供に代表されるように,今回の事件の原因のひとつに,海外の革命理論を歴史的な条件を無視して日本で実行しようとしたことがあることは,多くの人の指摘するところです.またその海外の政治指導者がここ数年来,彼らに声援を送っていたこともかくれもない事実です.
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