准看教育
三重県における看護教育と養成対策について
加藤 艮六
1,2
1伊勢市医師会
2伊勢市医師会付属准看護学校
pp.53-56
発行日 1963年6月1日
Published Date 1963/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904396
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はじめに
私が看護婦教育に関心をもち始めたのは昭和15年の春のことである。当時私は京大耳鼻科教室から山田赤十字病院(伊勢市外御薗村)に耳鼻科医長として着任したのであるが,早々どうしても欲しい手術器械の購入を院長(後に大阪赤十字病院長に転任)に申出たら,院長は,「その器械は君だけのためにほしいのか。それとも看護婦養成の上からも必要なものか」と問われ,私が,「それは私がやりたい手術にぜひ必要ですが,直接看護婦養成には必要と思いません」と答えた。ところが院長は,「それならば一応止めてほしい。赤十字病院は救護看護婦の養成が第一義的使命だから,まずその目的にそった施設に金を使うゆき方をとっている。君たちは医師としての診療も大切だが,医学的興味という点を考える前に,まず救護看護婦養成に関心をもち,情熱をそそいでもらいたい」,と云われた。私はこの時始めて赤十字病院のなりたちや存在理由などについて勉強し,同時に赤十字事業と救護看護婦養成の関係も知ることができたのである。そうして在職17年間,私は私なりに看護婦養成に情熱をかたむけた。それはまた,たまたま支那事変から太平洋戦争に突入して,どんどん救護看護婦が召集されては,内地外地の陸海軍に従軍して大活躍する状況から刺激をうけて,赤十字病院に職を奉ずる者は,あげて『女の兵隊』を養成することに懸命にならざるを得なかったからでもある。
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