緒外国の教育事情
中国の教育
市川 博
1
1東京教育大学大学院
pp.34
発行日 1962年11月1日
Published Date 1962/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904290
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皆さんもご存知のように今から約13年前(1949年10月1日)に古い中国は中華人民共和国と名前を新たに生まれかわりました。中国はこの日より搾取制度をなくし,各人がその能力に応じて働き・必要に応じて受けとり,頭脳労働と肉体労働の区別のない真の意味で労働の貴賤をなくした共産主義社会を実現する第一歩をふみだしました。そのためにはまず新しい社会を建設する新しい人間の育成がなされなければなりません。しかし,長い間つづいた封建的遺制と,アヘン戦争以来の列国の圧迫に苦しめられて,新中国成立当時は経済的にも,文化的にも極めて貧しい状態におれていました。当時の小学生の就学率は25%にも満たず,しかも家庭の貧困のために児童も労働に従事しなければならないので,高学年になるにしたがって就学率は減少していったのです。それに,人口の8割以上を占めていた文盲—,このような状態を解放するための教師となることのできる知識人の数はわずかに1%にすぎず,既存の少数の学校も長期にわたる日中戦争とそれにつづく解放戦争のために破壊されてしまっていたのです。このことが教育の発展を非常に困難なものとし,ひいては経済の建設にも重大な障害となったことが容易に想像されましょう。中国の教育はこのような悪循環のジレンマのなかではじめてゆかなくてはならなかったのです。
新しい中国の建設はまず従来の農業国から大工業を中心とした近代国家になることからはじめてゆかなくてはなりません。
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