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中国見聞記—中国での聴覚障害者について
鳥山 稔
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1関東労災病院耳鼻咽喉科
pp.1037-1043
発行日 1973年12月20日
Published Date 1973/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492208010
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1.広州聾学校
広州聾唖学校は1946年に,3人の先生と6人の生徒ではじまり,解放後徐々に拡大し,現在生徒284名,職員69名となつた。難聴の針灸治療は沈陽からはじまつたので,解放軍は聾唖の治療をする前に,東北(沈陽)に学習に行き,自分の体にまちがつた針を1000回刺しても,患者に誤つた針を1回も刺してはいけないと考えて勉強し,1968年12月末より針治療をはじめた。聾唖者ははじめ,針を見て驚いたので,何時間か解放軍と先生は,生徒に,今は痛いが治療で聴力をとりもどして社会建設に奉仕するようにと,思想教育を行ない,ついで自分の体に針をさしてみせた。聾唖者は針で聴力を回復しても,言葉の訓練は困難であるので,大きな声を出すように訓練をした。以来3年間に83%の子供は程度の差こそあれしやべれるようになつた。よくなつた子供は普通学校に通わせていた。ただこの在学生はある程度の会話,日常生活はできるが,正常者の程度まで回復していなかつた。針治療の歴史は3年でまだ浅く,聾唖治療はそんなに進歩していないといつていた。日本では30-40万人の難聴者がいて,中国の難聴の良い治療に期待しているから,細かくお教え願いたいと中国側に申し入れた。
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