講座
「話し方」教育とは
斎藤 美津子
1
1国立キリスト教大学
pp.91-94
発行日 1961年2月1日
Published Date 1961/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903984
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「単なる技術者ではなしに,人間的な幅と深さを持つ看護婦を!」という社会的な要求が高まってきたとの事実を,最近耳にした。一体,人間的な幅や,または深さを看護婦が持っているか,否かは,いかなる方法で判断されるのか?意味論的に厳密にいえば,複雑になってくるが,大体の場合は,自己をいかに表現するかによってきまるのであると思う。自己を表現するということは意味論的にわけると,沈黙的段階と記述的段階に分けられ,記述的段階とは言語を用いて自己を表現することである。最近,マスコミとか,コミニュケーションという言葉をよく聞くが,このコミニュケーションという言葉が,ここで自己を表現するという言葉に一番適切であると思う。(「話すこと」と「書くこと」が考えられるが,今日は話す方だけを取り上げることにする。)要するに看護婦が技術者として,また人間としてコミニュケーションをいかに効果的に行なうか,否かに,その人間的な価値評価がかかってくるということができるのである。看護技術は直接人間相手の職業であるから,その技術にたずさわる者は,人間相手の効果的なコミニュケーションとは,一体何であるかを学ぶ必要が生じてくるのである。
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