——
大学に於ける看護教育の変遷
湯槇 ます
1
1東京大学
pp.56-59
発行日 1960年12月1日
Published Date 1960/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903953
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
3,4年前,アメリカからヨーロッパを廻って大学で行なわれている着護教育を視察して歩いた時のこと,ある有名な大学の看護学科の教職員室は何かの建物を利用したらしく床など最近張り換えた古めかしいものであった。丁度その頃専門課程が始まった東大の衛生看護学科も病院の地下室の蒸気のパイプや排水管などの天井一杯に拡がっている状態なのを思い出して,そのことに話が及ぶと「ここも一番始めは厩で,その次がガレージ,つい最近教師室が手ぜまになったので改造して移った」とのことで,知っている大学の建物を次々と指折り数えてその大抵の学校は地下室から出発しているということになった。
1860年にフローレンス・ナイチンゲールが自分に贈られた44,000ボンドを基金として創立した世界最初の組織された看護学校は,独立したものてあり,セント・トマス病院は実習病院として契約し密接な関係を保ち,看護の教養と教育とを日標とし,また選ばれた教師を待っていた。彼女は当時行なわれていた看護業務の分析をし,すべて必要と思われるものをとり上げ,それを将来指導者になるものと普通業務を行なうものとの2つのグループに学生を分けて教育する制度をとった。この時にとられた看護教育のパターンはその後必ずしも踏襲されなかったが,その創立の意味は百年後の今日まで成長しつづけて来た。
Copyright © 1960, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.