連載 人間と教育・5
裸になること
上田 薫
1
,
加藤 由美子
1都留文科大学
pp.324-325
発行日 1993年5月25日
Published Date 1993/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903656
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いつも裸でいるということは,健康と安全を考えれば決して好適のことではない.いや人間はその心身をより強くより美しくするためにも,裸の上になにものかを加えずにはいられないのである.裸体美も飾ることなき告白も,たしかに人の心を打つことができようが,そこにはそれが日常平凡のことではないという條件があることを否定できぬ.ごく普通の生活をいとなみつつ裸になれる,なっているとは,はたしていかなる値打をもつことか.価値ありとすれば,どうしてそうなれるのか.
人間の原始的状態を,もしかりに裸というならば,人類は文化によってそれを覆い,乗り越えてきたということができよう.いわばそこでは,本体とでもいうべきものへの補強が行われてきたのである.それはまことに当然のことで,疑いもなく正当といわねばならないのだが,実はその補強がしばしばかんじんの本体を,逆に衰弱させることがあるから問題なのである.たとえば冷暖房の普及は身体の抵抗力を弱めよう.情報手段の発達は思考力の衰退を招こう.とにかく他力に上手によりかかって楽に目的をはたすことに馴れてしまえば,自分自身をきたえ発展させることは,しぜんおろそかになろうということである.
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