特集 エイズを考える授業
「現実としてのAIDS」に迫る授業―個人,医療,社会から見たAIDSのもつ意味
百々 雅子
1
1国立国際医療センター病院附属看護学校
pp.814-820
発行日 1998年11月25日
Published Date 1998/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663901930
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AIDSへの距離感
ここ何年かの間,いくつかの看護学校においてAIDSを考えるための授業を行っている.科目としては社会学あるいは英語としてである.看護学校ではAIDSが疾病1)すなわち看護の対象としてとらえられるのは当然であるが,それとは別の観点からAIDSを考えること,つまり個人や社会にとってAIDSの意味するものを考えることも重要である.AIDSは日本においては,まず輸入血液製剤の使用によって広がり,そこに性交渉によるものが続いたが,前者の感染経路はいうまでもなく社会的視点を抜きには語れないし,後者についても社会の中の「性」を考えずにはいられない.
この授業を始めた8年前,AIDSにたいする社会的な認知度は今と比べてかなり低く,しかもいわゆるAIDSパニック2)後の強い偏見によってある種の厄災的な見方がなされていた.そんな状況の中で大半の学生たちのAIDS観もそれに類する見方を免れてはいなかったが,逆にそのAIDS観があるが故に,AIDSという「教材」に関心を持ってくれるのではないかという目論見も正直に言えばこちらにはあった.
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