連載 待合室で僕は・3
誰しも望む“健康”の裏側
大西 赤人
,
大浦 信行
pp.168-169
発行日 1997年3月25日
Published Date 1997/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663901571
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人間誰しも,よほど特別な事情がない限り,自ら好き好んで病気になりたいと望むことはないだろう.裏返せばそれは,誰でも“健康”でありたいと願うということになるのだけれども,では,どのような身体の状態をもって“健康”と規定するのかと改めて考えると,いささか話は難しくなってくる.見るからに頑丈そうで叩いても壊れないような人が突然死んでしまったり,逆に,いかにも病気がちで弱々しい風情の人が案外淡々と長生きしたりする場合もままあるものだ.
あまり神経質に“健康”を追い求める―即ち,安全や純粋や清潔に固執する―ことが果たして無条件に肯定されるべきかには少々疑問もあるけれども,ひとまずここでは,身体に有害な物(有害と想像される物)とわざわざお近づきになる必要はないだろう,ぐらいに大雑把に言っておきましょうか?
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