連載 1つの看護教育史 1946~53 東京看護教育模範学院で学んだ人々・9
戦後の看護教育草創期に学んだ人々―東京看護教育模範学院卒業生の動向調査
桑野 タイ子
1
1埼玉県立医療短期大学
pp.712-715
発行日 1992年9月25日
Published Date 1992/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900458
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東京看護教育模範学院(以下,模範学院)はGHQ公衆衛生福祉局看護課の指導のもとに日本赤十字社中央病院救護看護婦養成部(以下,日赤)と聖路加女子専門学校(以下,聖路加)を統合して1946年にスタートし,1953年7月まで続いた.模範学院が発足した翌年には戦後の新しい看護教育が全国17施設で始まり,1948年以降保健婦助産婦看護婦法の制定によって全国各地に新制度の高等看護学院が設置されたが,模範学院はそのモデル校として位置づけられていた.模範学院における教育の内容と方法は,学校運営に至るまで全国の看護教育施設に広まっていった1).
敗戦前の日本の看護婦養成は1915(大正4)年に制定された看護婦規則,私立看護婦学校養成所指定標準によって行なわれた.入学資格は高小卒もしくは高女2年修了以上で年齢は18歳以上,修業年限は2年以上であった.しかし,戦争末期には看護婦不足によって年齢は16歳まで引き下けられ,教育期間も1年以下に短縮された.主要科目は医師によって担当されることが規定され,通常,看護婦教育は医師を責任者として行なわれていた.戦後の看護教育はこの戦前の規則を一新するものであった2).
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