EXTRA LECTURE
マザーテレサのもとへ,学生のボランティアの旅
関屋 スミ子
1
1国立療養所多磨全生園附属看護学校
pp.50-55
発行日 1991年1月25日
Published Date 1991/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900161
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“ハンセン病”とのであい
知り合いの人に連れられて,初めて熊本の“ハンセン病療養所”(国立療養所菊池恵楓園)を訪れたのは16歳のころだっただろうか.私は,そこで大変なショックを受けた.そこにいる患者さんは,鼻が崩れた人や髪が抜けた人,そして,手の指がなかったり曲がったりしている人といったように,いままで見たこともない人たちだった.看護婦さんはもちろんのこと,療養所で働いている人たちは,深々と帽子をかぶり,大きなマスクをかけて,みなが“目”しか出していない姿で働いていた.髪のないつるつるの頭の女の子が,遠くのほうから私たちをじっとみていたことはいまもはっきりと覚えている光景である.その人たちが“ハンセン病”という病気にかかっているということは,あとになって家のものから聞いた.
高校3年のときに,インドの“ハンセン病”を救おうという募金活動の依頼があった.私は,何年かまえに見た女の子のことがすぐ頭に浮かんだ.募金のためのポスターには,インドで日本の医師が,大きな木の下でたくさんの“ハンセン病”の患者の外科の治療をしているところだった.それを見たとき,看護婦になってインドの“ハンセン病”患者のために働きたいと心に決めた.
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