第2特集 看護学生論文─入選エッセイ・論文の発表
エッセイ部門
病気や事故では何も失われていない―ものづくりから気づいたこと
小林 未来
1
1東都医療大学
pp.668-669
発行日 2010年8月25日
Published Date 2010/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101530
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ある日祖父の家に親戚たちが集まり,私は4歳のいとこの遊び相手になった。いとこが私に折り紙の折り方を教えてほしいというので,誰もが知っている鶴を折ってみた。祖父も一緒に折り紙を折っていたが,鶴にあることをして鶴の形を変えたのだ。それは完成した鶴の両方の翼の付け根にハサミで切り込みを入れて片方の翼は髪の毛が長い女の子の首の部分,もう片方は裾が広がったスカートになるとともに鶴の首と尾だった部分は女の子の両手になった。私も初めは驚いたが,ハサミをちょっと入れるだけで1つのものが全く別のものに変わってしまうことに興味を持った。
私は鶴が女の子に変化する過程と健康な人が病気になったり事故にあったりすることが同じではないかと思ったのだ。でき上がった鶴に切り込みを入れ鶴ではない別の形にしてしまうのは,完成品の鶴をわざわざ壊すと思える。しかし,鶴から変化させたものは,スカートを履いた女の子であり壊れた鶴ではない。鶴にある工程を加えて女の子になるということは,それは単なる破壊ではないのだ。いわば鶴と女の子は同じ折り紙からなり,ただ形が異なっているだけで1つのものである。つまり,このような変化の流れは決して異常なものではなくむしろ正常と言えるだろう。
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