連載 プラトンからはじめる教育学入門・6
―認識論と教育(1)―「思う」ことと「である」こと
山口 栄一
1
1玉川大学教育学部
pp.1108-1111
発行日 2007年12月25日
Published Date 2007/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100834
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どこでもプラトン
いま,私はスコットランドのエジンバラにいます。ちょうどフェスティバルで市の中心は大賑わい,10年ほど前に留学していたころよりも,はるかに盛り上がっています。ストリートのあちこちから世界各国の音楽が流れ,民族舞踊がくり広げられています。中国からの人々の多いことに驚かされます。日本人と思って声をかけてみてもみな中国人。10年前にエジンバラを闊歩し,ウィスキーやカシミヤのセーターを買いまくっていた日本人はどこに消えたんだ。10年前は1ポンド150円,いまでは240円! 1.5倍に近い。円安は輸出企業にはいいかもしれませんが,外国の旅行もけちけちにならざるを得ず,英国の大学の日本語学科もつぶれかけているというし,ついにエジンバラ大学にも中国語コースができました。ここにいると,世界のなかで日本のプレゼンスが失われつつあることを肌で感じます。
エジンバラというところは,いろいろおもしろいエピソードがあり,まずスコットランドということにこだわりつづけるところがおもしろい。日本人からすると,英国の一部じゃないか,と思うのですが,当地の人々からすれば,「英国の一部になってやってるんだ」と思っている。その証拠に,お札はしっかり自分たちで印刷している。そのうえスコットランドのお札には統合の象徴のはずのエリザベス女王が入っていません。宿でうっかり,「食事はEnglish breakfastか?」と聞いたら,「No,Scottish breakfast」だと切り返されました。そのこだわりがたまらなくテイスティです。
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