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はじめに
「延命中止 続く模索」「終末期ガイドライン案」「国の指針 範囲は限定的」「司法の判断」「刑事罰意識 慎重論も」「日本尊厳死協会の会員毎年増加」,これらは,最近の新聞記事の見出しをひろったものである。きっかけは昨春,富山県の射水市民病院で表面化した延命治療の中止だった。医療の現場から退いて久しい私は,そこに苦悩する医療者,混乱する社会の様相を感じ,ただただ息をのみ,立ち尽くすばかりだった。現在の医療の現場で起きているさまざまな現象を語るには,自分自身が完全に“異邦人”だと悟らずにはいられない。
しかし,本誌の昨年10月号の特集《…人工呼吸器取り外し問題が提起したこと》に限っていえば,対象となった患者の大半が,病院入院中の「がん末期」(終末期)にある方だったことから,看護の視点で「提起された問題」を考えていかなければと感じた。なぜなら,ここでいう終末期の医療は,終末期のケアの概念下にあるはずであり,すなわち,終末期の患者に向き合うすべての医療者は,家族を含めて,患者の生の終焉まで,ケアを通してその「生」を支えていく援助を行っていくものであり,医師もその例外ではないからだ。
同特集に寄せられた文化人類学者の,アメリカの在宅ホスピスを中心とした終末期ケア論1)は,日本の社会・医療・看護のありように深い示唆を与えていると考えた私は,私自身が長年にわたって「ターミナルケアにおける看護の役割」というテーマで行っている大津市民病院付属看護専門学校での講義に,資料として用いることにした。これは3年生対象のゼミで,18年間,カリキュラム改正があっても一貫して続けられている。
ゼミでは,3年生がこれまで学び,経験してきたものを背景に,「看護とは何か」を学生一人ひとりが考え,それぞれの看護観のありようを自分の言葉で模索することを意図しており,「がん末期」にある方の看護,終末期のケアを主軸にしたテーマが取り上げられている。10日間の集中ゼミで,私が担当するのは180分の講義である。講義のあと数日間グループ研究が行われ,最終日にシンポジウムがある。シンポジストはグループの代表と実習病院の緩和ケア病棟の認定看護師(卒業生)である。私の講義とシンポジウムには1・2年生も参加する。
本稿はこのとき学生に行った「終末期のケア」の講義に加筆したものである。
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