特集 ノーマライゼーションのまちづくり—障害者プランを生かすために
「障害者プラン」に対する公衆衛生家としての私の見解
大谷 藤郎
1
1国際医療福祉大学
pp.16-18
発行日 1997年1月10日
Published Date 1997/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662902837
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成立の経過からみると
「完全参加と平等」を掲げた1981年の国際障害者年は国際障害者年のイベントを通じてそれまでバラバラであったわが国のさまざまな障害を持つ人々や団体の存在を改めて認識させ,また,世界の障害者対策先進国に比べてわが国が理念的にも具体的施策においても格段に立ち遅れていることを官民ともに改めて認識させられた。そのことにより国際障害者年は日本の障害者対策の全体としての大きい跳躍台となった。当時,私は厚生省公衆衛生局長で国会で3日間の集中審議があり,その間ずっと山下真臣社会局長と共に呼ばれて答弁に立った。当時の障害者対策の状況はこの質疑応答の一部始終に詳しいがともかく不十分であった。それに続いて1983年には「国際障害者の10年」が始まり,以来遅ればせながら障害基礎年金制度であるとか精神保健福祉法などさまざまな施策が計画・実施され改善されてきた。
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