特集 「民」の視点からの保健婦活動
NGO・障害児の親の会の活動から
池谷 迪子
1,2
1全国重症心身障害児(者)を守る会
2静岡県支部在宅部
pp.1159-1163
発行日 1999年12月10日
Published Date 1999/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662902110
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はじめに
私は昭和35年3月に看護学校を卒業し,内科病棟と小児科病棟に勤務の後,進学して保健婦になりました。保健婦としては2つの保健所に勤め,結婚して子どもの出産を前に退職し,以後,専ら家庭内での介護看護の毎日,30数年を過ごしています。
看護婦時代,重い慢性疾患で長期の入院治療の後に自宅療養となる人たちを見送るとき,退院後の生活をしっかりとサポートすることとその役割をする人の必要性を感じ,そんな仕事をしたいという思いを持ちました。これが保健婦になる1つの動機でした。
事情があって出産前に退職しましたが,子どもの成長を待って復帰するつもりで,保健婦を一生の仕事と考えていました。
今,私の家族は3人,仮死分娩から脳性マヒのため全介助を必要とする息子(32歳)と,健康な娘がいます。夫はALSとの10年近い闘病の末,14年前に亡くなりました。寝たきりの息子と夫も最後の1年半ほどは全面的に介護を必要とした厳しい時期がありました。しかし,私は障害も病気も全部受け止めて,できるだけ長く家族が一緒に明るく張り合いを感じて生活したいと願い,家族が何をするのにも息子を中心に置き大切にしてきました。そしていつも目標を持ち続け仲間と一緒に力を合わせることでひとすじの道が開かれてきたように思います。
出産時の衝撃,障害を宣告された絶望感,育児の不安,迷い,そして障害の息子がいたから感じた喜び,そして生きる強さを教えられ,今日があることを幸せに感じる今,過去のことを思い返してみたいと思います。
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