特集 保健婦制度制定50周年を迎えて
[後輩へのメッセージ]
公看から保健婦へ,その35年のあゆみ
山里 俊子
1
1沖縄県中央保健所
pp.1090-1091
発行日 1991年12月10日
Published Date 1991/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900387
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私は1954年看護学校を卒業し,琉球結核化学研究所(1982年廃所)に就職しました。当時結核の新患者は年間約3000人発生していたのに対し,ベッド数は約300床余で極度に少なかったと思います。
沖縄県では,1951年保健所創立以来,公衆衛看護婦(公看と呼んでいた)の駐在制をとっています。そのころ県では,各市町村に公看を駐在させる計画でしたが,その人数が不足していたので,新しく開校する沖縄公衆衛生看護学校に入学しないかと,ワニタ・ワーターワーズ女史(軍政府公衆衛生部看護教育指導者)と看護係長に,入学を勧められました。私は地域住民のため役立ちたいと思い,公看になる決意をしました。
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