特集 復帰を前に
岐路に立つ沖繩の公看
後藤 珠真子
pp.10-24
発行日 1969年10月10日
Published Date 1969/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204511
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公看・公衆衛生看護婦は,高等学校卒業後3年間の看護教育を経,看護婦資格をとった上さらに1年の教育課程を終ったもの,すなわち,本土の保健婦のことである。コウカンという音が高看つまり正看を連想させ,沖繩を訪れた人のなかには「看護婦が保健婦のようなことをしている」と誤解している向きもあるが,その養成においても本土と同じであり本質的な働きに変わりはない。彼女らは,琉球政府職員として,那覇,コザ,石川,名護,宮古,八重山の6つの保健所を軸に,本島内市町村,離島,僻地に駐在している。戦後アメリカのワニタ,ワタワーズ女史が,四国4県を指導し,高知県での成果をもとに普及したこのシステムは,数かずの離島を抱え,しかもその多くが無医地区であるところの沖繩の地理的,社会的条件によくマッチして今では網の目のように張りめぐらされ,沖繩の医療の最末端を支えている。医科大学を持たず,本土の同人口県の約1/2という医師の充足状況から推してもこの公看の働きは,たとえ医師の肩代わりと,あるいは医療の貧困の犠牲といわれようと沖繩住民にとってどんなにか得難いものであったろう。
いま,復帰を前にして,あたかも今までの疲れが一気に出たかのように,少しずつ肩の張りがゆるみはじめているようだ。彼女たちが,倒れてしまわぬよう,何かさしのべるすべはないものか,そんな気持にかられて特集とした。
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