連載 開拓保健婦に看護のルーツを探る・23
大平原「別海」の保健行政の土台を築いた保健婦たち
小島 ユキエ
pp.144-145
発行日 1988年2月10日
Published Date 1988/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207486
- 有料閲覧
- 文献概要
別海(46年町制施行)の特色
昭和22年・緊急開拓制度により別海に設置された開拓保健所に根室支庁から6名の開拓保健婦が配置されました。勝田朝子・松田正子・林イツ・髙橋房枝・永田リサ・藤谷キク子の6氏です。開拓保健所は25年中標津保健所が設立されたことで廃止されましたが,ひき続き6名の保健婦がそれぞれ開拓地に駐在しました。別海は北海道の最東部に位置し,その面積は1,333.98平方キロと十勝の足寄町とならぶ香川県の広さに匹敵するといわれています(図1)。
夜と昼の寒暖の差が激しい開拓地で,畑作農耕に見切りをつけた開拓者は酪農に取り組み始めました。とはいえ,当初は極度の貧困に耐えねばならず離農者も相次ぐなど不安な状況が続きました。保健婦は開拓地の家庭訪問,健康相談に東奔西走するなかで,誰の手にも入る山菜や豆類などを材料とした料理講習に巡回し,食生活改善に努めました。その一方で,妊娠可能年齢層の多い開拓者に,避妊器具をあっせんするなど,家族計画を推進し,その過程で育成した若妻学級の主体的な活動は現在も存続しています。
Copyright © 1988, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.