特集 地域を想い,住民の中で息づく保健婦を
Community basedを貫いた島根県の保健婦教育
〈卒業生の実践の記〉
"科学的健康観"を胸のポケットに
森山 佳江
1
1島根県雲南保健所
pp.933-935
発行日 1985年11月10日
Published Date 1985/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207071
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「さあ,明日からいよいよ八束町での実習に入りますよ」と教務の先生から言われたのが,入学して間もない昭和46年7月のことであった。そして,"地区診断"とか"現地踏査"等と耳なれない言葉でスタートした学院生活の中でのこの実習の1ページは,私に少なからず胸の高鳴りを覚えさせていた。
新カリ新カリと騒がれた看護学院での生活は,今思えば井の中の蛙そのもののようであり,保健婦学院でのそれは,まさに大河に放り出された私に,180度くらい違った別の世界があるということを知らされた1年であった。そしてそこでの教育は,公衆衛生活動をめざす保健婦の基礎をつくるものであったことは当然のことであるが,受身の講義に慣れていた私にとっての大きな驚きは,"討論を何度も重ね,共通理解を深めていく"という学習方法であった。21人の仲間が机を丸くならべて,夜遅くまで眠い目をこすりながら,「あげでもない,こげでもない(あーでもない,こーでもない)」と討論しあったことは,若さと情熱の固まり以外の何ものでもなく,ついこの間のことのように思われてくる。さらに,この学院の学びの中で深く深く印象づけられたことは,「"科学的健康観"を持ちなさい。そして,"鍋の底に聴診器をあててみるような住民の生活"を知りなさい」という言葉であった。それは,卒業してからの私の活動の目標であり,また心の支えともなってきていた。
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