特集 保健婦学生がインタビュー 先輩が語る戦後の活動の軌跡(4)—19都県・25人の証言
中四国
原爆投下の混乱のなかをくぐりぬけて—徳富ヨシ子さん(広島県)
下西 秀子
1
,
後久保 和子
1
,
竹中 春美
1
,
富田 龍子
1
,
鳥生 立子
1
,
平田 由紀枝
1
1広島県立広島看護専門学校公衆衛生看護学科
pp.327-331
発行日 1985年5月10日
Published Date 1985/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206990
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はじめに
私たちは現在家族保健指導を実践する能力を養うため,安芸郡府中町において一事例を受持ち家庭訪問実習を行っている。地区の対象者のなかに元広島市の保健婦であった徳富ヨシ子さんがおられた。徳富さんは,昭和17年健康指導所の発足以来昭和42年まで公衆衛生看護活動を実践されてきた。
広島市は,昭和20年8月6日に原爆が投下され,壊滅的打撃を受けた。70年間は草木も生えないといわれた廃虚の街で,徳富さんは地道な活動を続け,住民の健康向上に貢献された。現在の保健婦活動の基盤となった先輩の功績を知り,これから私たちが公衆衛生看護活動を展開していく糧にするため,今回徳富さんのインタビューを行った。
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