特集 レールを敷くのは私たち
活動の中の青い烏やーい
やはり保健婦の仕事が好きだから
清水 昱子
1
1秋田保健所
pp.18-21
発行日 1985年1月10日
Published Date 1985/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206943
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町村と一体になった活動だったが……
ここ2〜3年前から,毎月保健婦雑誌を買っても読みこなせない怠情な理由で購読をやめていた私が,ひょんないきさつから原稿を依頼され当惑しております。提出月日が刻々と近づき,何を書いたらよいか決まらぬまま気持ちだけがせかされる日々でした。昭和46年から保健所保健婦の業務についてきましたが,いつも満たされないで"保健婦って何なのかしら"と迷い続けている私の気持ちがあらわせたらと思います。
はじめて私が赴任していったところは管内人口5万人弱のL型保健所でした。保健所には保健係長も含め保健婦が6人おり,管内は5町1村で町村には1〜2人の保健婦がおりました。町村の保健婦がまだ若く,保健所の指導と協力を必要としておりましたので,保健係長が先になって,管内の保健婦同士が仲良く,和気あいおいと仕事を進めておりました。年度の終わりには担当町村の保健婦と事業のまとめと反省をして,その後に保健所で町村関係者が集まりヒヤリングが行われ,共同保健計画のもとで年間の事業計画が立てられました。保健係内でも業務測定を毎年12月から3月にかけて行い,全員で共通認識の上で活動が進められるようにしました。
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