特集 カレン裁判—‘尊厳ある死’と看護
カレン裁判—私はこう考える
やはり生命軽視への危惧は残る……
田河内 ツル子
1
1国立小児病院
pp.806-807
発行日 1976年8月1日
Published Date 1976/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917942
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看護はその業務の性質から,その対象を,常に人間として全体的なとらえ方をするように心がけるべきものだと思っている.このような意味から,カレンさんの場合のように,たとえ‘植物的人間’という表現がなされる状態であっても,看護の立場からは,その基本的な心構えの上ですこしも変わることはないように思う.正直にいって,‘植物人間’という言葉にも抵抗を感じる.
カレンさんの父親の言葉として報道された‘ただ生物学的に生命を維持しているだけであって,やせ衰えて,見る影もなくなり,娘がかわいそうである’という肉親の情も理解できないではないが,たとえ‘尊厳死’という名で呼ばれようとも,まだ人間の力で生命維持が可能な状態のときに,その方法を停止することには賛成できないような気がする.
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