連載 自分史からみた群馬の国保保健婦活動・12
国保連合会へ移る
内堀 千代子
1
1元群馬県国保連合会
pp.58-59
発行日 1984年1月10日
Published Date 1984/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206776
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郡支部の保健婦として仕事も軌道にのってきた昭和25年春,ふたたび転勤の問題がもち上がりました。それは23年の国保法改正によって市町村公営の原則が打出され,現在代行(農協)で実施している国保事業は市町村へきりかえることとなりました。群馬県のように代行組合が7割をしめ,事業創設以来産業組合が基盤となって浸透し,農業会から農協へとうけつがれてきた国保事業も農協組織としては手をひかざるを得ない状況となり,各郡支部にいる私達10人の保健婦は存在理由がなくなったというわけです。この仲間達もおのおの新しい職場へ移ることになりました。
私のところへも前後して三つの話がもちこまれました。一つはちょうど新設されることになった保健所とその少し前に資格試験に合格したばかりの生活改良普及員ともう一つが県の国保連合会でした。保健所も生活改良普及員も今考えれば身分的にはずっと安定していたわけですが,当時は公衆衛生の何たるかもわからず国保のことしか念頭にない私は,保健所保健婦にも生活改良普及員にも食指は動かず,結局当時の仕事の延長ともいえる県の国保連合会へ気持がかたむいていき,昭和25年6月5日付で群馬県国民健康保険団体連合会理事長名の保健婦(技手)を命ずるという辞令をもらいました。
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