連載 活動の中から
じん肺検診の中で正次郎さんのこと
吉田 幸永
1
1京都府日吉町
pp.638-639
発行日 1977年10月10日
Published Date 1977/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205910
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正二郎さんを知ったのは,私が日吉の保健婦になって間もない頃,排菌プラス命令入所の患者さんになった時である。菌陽性,周囲への感染防止を重く考えていた当時は,とにかく入院してもらうことが主眼で来る日も来る日も,8キロの田舎道を自転車で通いつづけ,民生委員さんの応援もあって,正二郎さんは郡の組合立病院へ入院をした。それからの正二郎さんは事故退院をしたり,入院をしたりの繰返しで,今は私立のK病院へ入院したままである。が,8月号にも書いたように,旧鉱山労働者にじん肺がふえ,患者同盟が組織され,自主検診をやり,行政(労働監督局)の検診ができるようになった段階で,日吉町は1人のおちこぼれも出さないように患者同盟の人びとと共に,元鉱山で働いていた人びとの掘おこし活動を徹底的に行った。行政の行う検診までにはいろいろなことがあった。検診日も決まり,通知まで出た検診日の前々目にひっくりかえされることもあった。が,とにかく51年11月には,じん肺とマンガン中毒の検診が実現した。石の上にも3年というが5年間の努力がようやくにして実を結んだのである。いっしょに運動をやってきた患者同盟の方がた,それを支えてきた地元医師,それをとりまく医師団の応援は,へこたれそうになる私を支えてくれた。
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