連載 聖路加の公衆衛生看護部●訪問看護活動を中心とした歩み・5
結核患者と新生児訪問—新しい結核管理体制(昭和36年)と児童福祉法や母子保健法での新生児訪問の制度化の出現をめぐって
松下 和子
1
1聖路加国際病院公衆衛生看護部
pp.372-377
発行日 1977年6月10日
Published Date 1977/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205865
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1.病院の接収解除
昭和20年8月,終戦により病院が進駐軍に接収され,都立のおんぼろ木造の整形外科病院を借りうけ,仮ずまいの中で聖路加国際病院を運営してきたという話は前回で紹介したが,昭和28年(1953)2月13目に8年間の接収で荒れ果てた旧館が返還された。そして,それを聖路加国際病院らしく使用できるように急ピッチで復興工事が進められ,その年6月25日に旧館返還の感謝礼拝と盛大な園遊会が開催されたのである。そこには一応近代病院の諸設備が整えられ,今まで25床しかなかったのに一挙に128床を有することになった。この旧館復帰を契機に,日赤で教育をつづけていた聖路加女子専門学校も築地にもどり,翌29年に新しい学制にのっとって短期大学に組織がえをした。そして昭和31年5月に,いよいよ本館の建物のすべてが返還され,5年後の36年には,トイスラー院長時代からの長年の念願が実って外来部門が増築され,公衆衛生看護部もその新築棟に健康相談室を含めて4部屋をもつことになり,徐々に活動内容の充実をはかり,しだいに現在の体制が確立されてきたのである。
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