特集 母子保健活動の実態
活動報告
母親学級の現状と将来展望—高崎市における26年の歩みから
狩野 フサエ
1
,
梅田 和子
1
,
永井 貞江
1
,
中川 くみ子
1
,
岡部 幸江
1
,
清水 和代
1
,
飯塚 雪子
1
,
只木 信子
1
,
小平 良貞
2
1高崎市役所
2高崎市医師会
pp.800-804
発行日 1976年12月10日
Published Date 1976/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205783
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はじめに
わが国の母子保健活動は,今から約60年前の大正年間にそのめばえをみることができる1)2)。その後昭和に入ってからは,健民強兵の国策に沿って,徐々にではあるが母子保健行政が確立されていき,昭和17年には現在もなお続けられている母子健康手帳の制度が創設された。しかし戦争が激烈となり,その成果をみることなく敗戦となった。
さて戦後わが国の母子衛生は大きく飛躍し,昭和33年には児童福祉法が制定され,各種の行政措置により,乳幼児の死亡率は世界のほぼ最低水準に達し,妊産婦死亡率もまた年々低下し,わが国の母子保健の水準は戦前に比べて格段の改善がみられた。すなわち妊産婦死亡率も周産期死亡率も昭和33年頃から漸減し,昭和48年には前者は出生1万対3.8,後者は出生1千対18.0にまで低下した。しかし先進諸国との国際比較において,なお妊娠中毒症および出血による妊産婦死亡はいずれも5〜10倍であり,また後期死産は1.5倍で依然として高率である。
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