特集1 秩父の保健婦活動・昨日今日
母子愛育班の協力を得て
中村 輝江
1
1埼玉県秩父郡横瀬村役場
pp.101-103
発行日 1974年2月10日
Published Date 1974/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205432
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埼玉県の西方に,関東平野がつきると四囲を奥秩父の連山と一連の丘陵にかこまれた秩父盆地があり,その盆地の中央にひときわ高くそびえる武甲山の雄姿。そのあたりが我が横瀬村で,村内には広大な耕地が散在し静かな農村であった。昭和44年10月西武秩父線の開通により,東京までわずか85分になり,村内には2か所の駅もでき,セメント会社を初めこれに関係する各種の会社事業所などが設立され,人口増加がいちじるしい。そのうえ果樹公園村などのレクレーション施設が何か所もできて,東京から家族づれやヤングのピクニックの日帰りコースとして連日にぎやかである。また村内には秩父34か所の札所が6か所もあるので,老若男女の参詣者がバスを連ねて村に入って来て,静かな村が急に活気をおびて,村の人もじっとしていられないというような気持にかられる状態である。
したがって,耕地はあっても専業で農業に従事する人は年々減少し,村内の会社事業所などを初め,最近は西武鉄道を利用して東京まで通勤する者もふえてきた。主婦を含め老人までも働ける人はパートに出たり,内職におわれ現金収入を得て,村内は都市化の生活様式に変わってきた。
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