ニュース診断
岡田嘉子さんと小野田少尉
久米 茂
1
1深夜通信
pp.54
発行日 1972年12月10日
Published Date 1972/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205194
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旧樺太の国境線を突破して,ソ連領に"恋の逃避行"と騒がれて以来,ずっとモスクワに住んでいる岡田嘉子さんが帰国した。夫の滝口新太郎氏(元日活俳優)の遺骨を実家に届けるため,とマスコミは報じている。岡田さんについても滝口氏にしても,若い人には全くなじみがないだろうが,いずれも昭和の初期に,映画に舞台に大活躍をした人だ。とくに岡田さんは名実ともに大女優として,高い評価と人気を得ていた。筆者も"忠臣蔵"や"また逢う日まで""東京の女"を見た記憶があるが,とくに"東京の女"での,昼はタイピスト夜はバーで働く(弟の学資のために)役が好もしかった。
その岡田さんが,新協の演出家・杉本良吉氏と越境という大冒険をやったから,世間はアッといった。新聞は"吹雪の樺太国境に 岡田さん失踪 愛の雪見か心中行?"(昭和13年1月5日読売)などと書いた。その前年の夏から始まった日中戦争は"連戦連勝"ということで国民は酔っていた。とりわけ,南京攻略(12年12月12日)の大ニュースの余酔は年末から年始にかけて,なお国民をおおっていた。そこへ越境の報がとび込んできた。国民の受けとめ方は異様とも複雑とも形容しがたい表情だった。ジャーナリズムが〈動機は愛のはてか思想の行詰まりか〉などと書いても,ただぼう然とした。もっともインテリや左翼人のなかには〈思想の行詰まり〉という表現に他人事でないものを感じた。
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