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岡田貫一君を偲ぶ
山下 章
1
1渋谷保健所
pp.678
発行日 1963年12月15日
Published Date 1963/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202761
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"来年の4月は公衆衛生院を出てから25年目になる。残っている10数名の者が集って,昔を語りあおうではないか。その企画は東京におる俺とお前とでやろう。"今年の3月頃であったと思うが,急にそんなことを言った。その時の彼の悪い顔色が今でも私の眼にやきついている。どんな気持で言い出したのか今はもう聞くすべもない。それから間もなく病床について6か月余り,11月19日夜再び会えぬ人となってしまった。
岡田君は昭和11年慈恵医大を卒業,聖ルカ病院の小児科を振り出しに,都市保健館(現中央保健所)に勤務,昭和14年公衆衛生院第1回医学科正規学生として,日本最初の公衆衛生技術者の養成訓練に参加した。私は東京市の防疫課から派遺されて奇しくも顔を合せ,それから24年余り,途中戦争のため,私は軍医として中支へ,彼は司政官としてジヤワへ5,6年の間離れていた以外は同じ道を歩いてきたのだから,私にとっては最も因縁の深い友であり,兄貴分であった。
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