特集 新しい芽
保健婦として歩んできた道—ある障害児との出会いから
伊藤 寿美恵
1
1刈谷保健所
pp.22-27
発行日 1971年4月10日
Published Date 1971/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204900
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最初に会った障害児
終戦の混乱のつづいていた昭和22年になんとはなしに平凡な結婚をして,それから10年,第2回目の倦怠期を迎えて,金儲けにだけかける人生にあぎあきしてきた。子どもにも手がかからなくなり,やり直しのきかない人生に生きていることの証しをと考えるようになり,30歳をすぎて保健婦学院に入り,34年に卒業した。すでに30をすぎた者にとって,就職は雇う方にとっても条件が合わず,きびしいものであった。10月になってやっと保健所に勤務することになった。
34年10月といえば,一瞬にして54人の生命を奪った伊勢湾台風の直後でした。庁舎は水びたしで仕事にはなりません。稲田は入江の如く泥水が一杯で,その年農家の人々から,わずかにとれた米は塩からくて食べられなかったと聞いた。米のあまるこの頃と比べると,随分苦しい生活だったろうと思う。
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