特別寄稿
セロハン公害—その3
大川 博徳
1
1三重大学教育学部
pp.119-128
発行日 1971年3月10日
Published Date 1971/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204893
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名古屋市北区のセロハン公害反対運動は,被害地に住む一科学者の憤りから起こり,同じ公害に悩む住民と手を結び,既存の町内会や政党・労組から独立した,住民の直接参加方式をとって大きく発展した(本誌第25巻11号,第26巻10号参照)。その特色は,
1.広範多種な科学者が住民運動に参加し
2.住民と共に公害の実態を調査し
3.その結果を,会報『あくしゅう』や研究会を通じて,住民に直接知らせ
4.同時に,公害に対する考え方を深めたところにある。さらに,
5.被害住民の過半数の賛同署名を得るまで対策協議会を設立せず
6.運動の原則を作って,それを崩さず
7.陳情や協定を排除し,市当局や公害企業への抗議と公開質問状をくり返し
8.公害の監視技術(クサイクサイ調査など)をあみ出し,住民による監視を徹底し,絶えず頑張った結果,
ついに,硫化水素の防除設備を工揚につけさせ,発生源での対策に手を打たすことに成功した。しかし,有毒な二硫化炭素は,2つの工場(アイセロ化学と大日本セロファン)から,合わせて毎月200トン以上が煙突からバラ撒かれていることがはっきりしたにもかかわらず,市当局も両工場も,防除に金がかかりすぎることを理由に,大気拡散しか考えず,住民の健康が犠牲にされている。
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