研究報告
沖繩の風疹障害児について
植田 浩司
1
,
西田 元昭
2
,
伊礼 登代子
3
1九大小児科
2浜の町病院耳鼻咽喉科
3那覇保健所看護課
pp.40-46
発行日 1969年10月10日
Published Date 1969/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204514
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まえがき
昭和40年の春に風疹の大流行が沖繩をおそった。当初この風疹が400人もの障害児の発生の原因となろうと誰が想像したであろう。風疹,一般には三日はしか,沖繩では台湾はしか,台湾いりがさと呼ばれているが,流行時には風疹は先天異常の原因となることが新聞で報道され,人工流産が積極的に行なわれたが,一方では無視された傾向もあった。この風疹流行も夏には姿を消し,世界から忘れられ,その年の後半に多数の未熟児・心臓病・白内障(白そこひ)・難聴の子どもが生まれた。しかしそれが風疹に起因するものであったことを知るものはなく,半年後の昭和41年6〜7月の九大の風疹研究グループ・地元の小児科医会と公衆衛生看護婦の協同調査で明るみに出た。
風疹障害児はその後たゆまざるfollow upが行なわれ,世に訴えつづけられてきた。昭和43年8月には患児の数も282人に達し,44年2月になって事の重大さが認められ,44年2月日本政府による風疹障害児検診班が派遣され,行政のレベルでの調査,治療の対策が進められるようになった。このたびは風疹障害児発見当初のことから,公衆衛生看護婦活動による風疹障害児の検診成績について述べてみたいと思う。なお,風疹による先天異常は図1に示すような症状があり,先天性風疹症候群と称されているが,一般には風疹障害児とよばれている。
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