日本列島
沖繩県における食肉検査
伊波 茂雄
pp.309
発行日 1976年5月15日
Published Date 1976/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205182
- 有料閲覧
- 文献概要
沖繩県では昔から養豚や山羊の飼育が盛んであり,盆・暮れやお祝いの時には自家屠殺をして一族郎党を集め,肉料理を振舞うのが慣習となっていた.しかし日常は動物性蛋白質の摂取量が不足しており,国民栄養調査によると,総蛋白摂取量は全国平均の70パーセント程度にすぎない.そのためかどうか不明ではあるが,学童の体位も平均して劣っており,全国平均より各年齢とも10パーセント以上低かった.戦後は米軍に占領されてから米国人の食生活の影響を受けて,ハム,ベーコン,ソーセージ,ポークランチョンミートのような肉製品を多く食べるようになり,そのための輸入関税がほとんどかからないよう措置されていた.昭和47年5月15日,沖繩県となって日本復帰した際,特別措置により5年間は従来通りの低税率が認められ,県民が戦後20数年間の食習慣でなれ親んできたこれらの肉製品が廉価で購入でき,喜んでいる.沖繩県は四面海に囲まれ,水産業は盛んなように思われるが,実際は魚介類のほとんどが県外からの移・輸入に依存しており,その消費量に比較すると,むしろ毎年30万頭程度屠殺している豚肉の消費が多いようである.
県では,昭和47年に237,390頭,48年には262,752頭,49年には324,965頭と,屠殺頭数が復帰後3年間で約40パーセントと伸びたのに伴い,屠畜検査業務の強化をはかってきた.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.