わたしの分娩
沖繩の水不足の中で
高原 セイ子
1
1東京衛生病院
pp.42-43
発行日 1965年3月1日
Published Date 1965/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202934
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パイナップル,パパイヤなどの豊富な夏の沖繩で,恵理(えり)を分娩いたしました.その中で今でもつわりが苦しい経験として頭に残っております.転勤後間もなくで,食物や環境にもなれないうちのことでしたから,つわりが余計苦痛に受取れたのかもしれません.朝食のパンだけはおいしいのですが,午前11時ごろからそろそろ重苦しい嘔き気が襲い,夕食の仕度ごろがピークになってきます.私たちのところは那覇市の中央でしたが,最初の家はガスが引かれておらず,石油コンロを使っていました.そのにおいがまた一層食欲を減じさせ,嘔気を誘ったようでした.夏ミカンやシークヮーサー(ミカンとキンカンの中間ぐらいの大きさで,ユズのような味)がおいしくて,皮をむく手が黄色くなるほど食べたのを思い出します.4か月ごろから尿に糖が出はじめ++++にまでなりましたが,さいわい分娩が終わるとなくなりました.健康時は糖尿など見られませんので,一過性か潜在性だと思われます.
沖繩の夏は4月ごろからやってきます.そのために,5月から,断水もはじまってしまいました.普通は,朝いつもより早めに起きて,あるだけの入れものに水をため,水を使う仕事(掃除・洗濯)を済ませてしまいます.しかし,それが1日おきの時間給水(午前4時〜午前10時まで)になりましたときは,2階住いのかなしさ水もタラタラしかでず,仕事ができませんので,洗濯物をかかえて出勤し,昼休みにするのです.
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