特集 保健婦現代史―そのあゆみとゆくて
日本最南端の保健婦さん
沖繩における公衆衛生の問題点
丸地 信弘
1
1信大医学部公衆衛生科
pp.122-124
発行日 1967年1月10日
Published Date 1967/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203844
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沖繩のおかれている姿は
昨年は2月と5月,2度にわたり前後合わせて2ヵ月ほど沖繩・宮古島に滞在し,調査や検診活動を行なった。そこで,その間に得た印象をもとに沖繩の保健婦活動,いや正確には公衆衛生看護(略して公看)活動の一端を紹介してみよう。
もっとも,それを述べるに当っては,現在の沖繩のおかれた特殊な政治的・社会的状勢を少し説明する必要があろう。それでなくては沖繩の公衆衛生行政,ひいては公看活動をも内地の保健婦さん方にご理解願うことは困難であろう。しかし,紙面の制約もあるのでその説明は簡略にすることにする。さて,沖繩は第2次大戦の終結で米国の施政下におかれることになり,潜在主権のみわが国にあることが平和条約第3条で定められた。しかし,米国の極東防衛上沖繩の位置は年毎にその重要性を増しはじめ,したがってその実質的返還の時期は不明確なまま今日にいたっている。このような状況のなかで沖繩の政治的形態は全く複雑不可解なものになっているといわなければならない。すなわち,沖繩には米国国防長官管轄の許に米国軍人から選ばれた高等弁務官を長とする琉球列島米国民政府(略して米民政府)がまずおかれ,その下に沖繩住民自治の琉球政府がおかれているのである。そのため,琉球政府の権限は立法,司法さらには行政権に対しても,米民政府からの大きな制約があり,これが実際今日までの政治的・社会的問題を生じさせているゆえんである。
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