特集 保健婦現代史―そのあゆみとゆくて
第Ⅱ部 私の保健婦ノート
戦後保健所活動の思い出
橋本 玲子
1
1神奈川県稲田登戸保健所
pp.72-75
発行日 1967年1月10日
Published Date 1967/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203829
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昭和24年の秋も深まり,K保健所実習最後の日席を囲んで,所長は「…公衆衛生活動とは,芸術を創造する事と同じですよ…」と,おっしゃった。人の命の尊さを知らざる人たちに教え,健康を守るすべを,地区の人達の心の中に深くともすことができる仕事,何と生甲斐のある仕事かと,私の心は高鳴った。17年の月日がたった今でもこの時の光景がありありと,浮かびあがってくる。夕げの匂いと,もやとともに闇が迫り,ひどくロマンチックな宵であった。実習にくるまでは,保健婦だけは,絶対になりたくないと,心に誓っていただけに,すぐれた指導者のためか,この変身ぶりは自分ながら不思議なくらいだった。
昭和25年,半住宅地,半農業地のN保健所に就職し,今日まで保健所保健婦として働いてきた。その間15年目に結核を発病し1年の療養の結果軽快し,職場にもどることができた。患者として得がたい経験も数々あったが,考える時間がもてたことは,大きな喜びであり,ささやかな歴史を作りつつある自分の仕事を振返って,このままでいいのかと,保健婦について改めて考えてみる機会となった。そして再びえた健康を大切にし,もう一度スタートラインの初志にかえって悔いない仕事をやり直してみようと,思い新たにしたのである。
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