特集 国保保健婦
活動の中から
地域への未練たちがたく
井出 由子
1
1長野県南安曇郡奈川村役場
pp.5-6
発行日 1964年12月10日
Published Date 1964/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203262
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最も単純に今の自分の感じを述べるとすれば,疲れた,の1語につきる.身も心もともに疲れはてたという感じが,うそもかくしもない今の感情である.
まだ,この村へきて2年しか過ぎていない.ある人は,初めに気負い過ぎたからだというし,また,他の人は,私たちの仕事はそう甘くないのだともいうし,さらには,保健婦そのもの—特に国保の—に対する分析を誤ったのだともいう.どの評価の1つをとってみても当たらずとも遠くはないようだ.しかし,だれがどう評価しようと,実際のところ,私は2年間で国保保健婦に疲労を感じている.この感じはなにも私だけのものではないと思う.卒業当時30人近い同級生のうち,へき地の国保にある種の考えをもってはいって行ったのは5指にたりないほどだった.が,それらの人たちはそれなりに気負いもあったように思う.今,それらの人たちと会って話すことはお互いがいかに疲れているか,こんなことをしていていいのか,自分を破滅に追いやるのではないか,などのグチや不安ばかりである.ともすると国保のアクセサリーにしかすぎないような存在に追いやられそうな同級生もいるし,疲労のあまり自らそのような位置を求める人もいる.かと思うと保健施設という,あまりに抽象的で大きな名前のもとに,能力以上の仕事に追われている人もある.
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