特集 国保保健婦
活動の中から
"話せる"若い保健婦に
松島 藤子
1
1静岡県磐田郡豊岡村役場
pp.4-5
発行日 1964年12月10日
Published Date 1964/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203261
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人口9,800人,医療機関に比較的恵まれた純農山村に就職してはや1年9カ月.村の人びとは,私のことを「若い保健婦」と呼ぶ.理屈っぽい私は,最初「若い」と呼ばれるのに抵抗したくなった.しかし今は,むしろ喜んでいる.なぜならば住民から「若い保健婦」と特に呼ばれるのは,市町村に若い保健婦が少なくてめずらしいだけではなく,若いものに対する期待が含まれているからだ.(その反面多くの悩みにも甘んじなければならないのかもしれない)村の人びとのその期待を感じとった時,私は心うき立つ思いで先輩保健婦とともに衛生教育,集団検診,健康相談,家庭訪問を通じて,母子衛生,成人病対策に力を入れようと話し合った.しかし,とび入り事業の多い小さな村,末端行政においては実行が困難であったし,また正直なところ従来どおりの保健婦活動に対しても「これでいったいよいのだろうか」と心の中でつぶやかざるを得なかった.
しかし社会においても1年生,保健婦としても初年兵である私は,就職すると間もなく,住民の期待にそうまでにはほど遠いと痛感した.わき目もふらずに自分の思うところをしたいと願いつつも,人間関係からくるブレーキが私にかかってきた.いや,自らブレーキをかけてしまったのかもしれない.1年9ヵ月たつ今でも,交通量の多い交叉点で1度ブレーキをかけて,あたりを見まわして進む車に自分は似ていると思う.
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