保健婦のあゆみ
永井久子の死(その2)
高橋 政子
1
1土曜会歴史部会
pp.58-63
発行日 1964年7月10日
Published Date 1964/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203166
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
開設されたばかりの青梅保健所へ
永井は府中保健所の建ものができ上がるまで,開設されたばかりの青梅保健所に行って,見学かたがた,カルテの作成やら,基礎調査やら,府中保健所開設の準備に当たっていた.そのころの保健所は木の香も新しい木造の平家建が多く,保健婦の大半は泊り込んでの自炊生活で,そこへ醤油を届けに来た酒屋の小僧が,自転車のペタルをとめて,保健所の新らしい看板を見上げ,見下し,「あにがあんだかわからねえや」と首を傾けて去って行く様子をノートに書きつけてあったのが印象に残っている.当時の「保健所」とか「保健婦」の名称はそれだけで,地域の人びとに仕事の内容をわかってもらえるような段階ではなかった.
ノートはさらに,社宅の家庭訪問をさっそく始めた日本鋼管の友人や,講習を受けて帰ったものの,相変わらず乳牛の乳を搾って幼稚園児に乳を飲ませるのが日課で,保健婦らしい仕事は手につかないとこぼす四国の人や,学校の帰りに千住大橋に近い土堤に足を投げ出して,「仕事を辞めて結婚したほうがよいかしら?」と悩む学校看護婦の人の記録などを私に印象づけている.
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.