文豪と死
永井 荷風
長谷川 泉
1
1医学書院
pp.948
発行日 1976年12月1日
Published Date 1976/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543201242
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永井荷風(1879〜1959)が「地獄の花」などで自然主義作家として知られながら,アメリカ,フランスに遊学後は耽美派に転向し,世のすね者として終生その奇行がうたわれたのには,それなりの理由がある.
荷風がアメリカに渡ったのには父の指示が大きく働いている.荷風の在米生活は「あめりか物語」に詳しいが,荷風が憧れたのはフランスであり,特にパリであった.荷風のフランス行きは父の反対をおしてであり,そのフランスとの別れ,すなわちパリとの別離「ADIEU」は,シャンゼリゼのマロニエの葉の一葉にも,ルクサンブール公園の灯ともし頃にも,とにかく恋人と別れるような恋々たる気持ちを残していたものであった.結局,荷風は父によって兵糧を断たれて帰国したのである.
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