研究・報告
クリニックにおける家族計画指導
石川 逸郎
1
,
松田 富美
1
,
上田 シズ子
1
,
大槻 富佐子
1
,
田中 房子
1
,
安井 幸子
1
,
梅田 真子
1
,
北川 久子
1
,
中川 和子
1
,
渡辺 美穂子
1
,
江木 行子
1
,
篠原 トヨ子
1
,
峯松 宮千代
1
1大阪市東成保健所
pp.53-55
発行日 1963年7月10日
Published Date 1963/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202881
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I.まえがき
戦前は「生めよ殖やせよ」の国策で人工流産は堕胎罪として重く罰せられたものであるが,敗戦日本のあの混乱時代には人工流産が平然と行なわれ,かつまた戦後の国土は縮小し,海外移民者は日本本土に引揚げるなど,国内人口の過剰にともなって,国策として180度の転換をなし産児制限が普及されるようになった.昭和27年には,優生保護法の一部改正があり,母体の危険および経済上の理由で条件が合致さえすれば医師の手術が許されることとなり,人工妊娠中絶が拡大解釈され乱用されるおそれが生じ,安易な気持で手術をうけるようになった.その結果母体の健康をそこなう恐れと,生命さえも危険にさらされてきた.そして人工妊娠中絶の死産率は非常に高い.人工妊娠中絶をしないで受胎調節し,それぞれに適した家族計画をたてて明るい生活をおくることが必要である.
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