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厚生省看護課復活—日本看護協会員の7年間の念願みのる
pp.45
発行日 1963年2月10日
Published Date 1963/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202754
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38年の新春,消えていた看護の灯がともされた.この灯が,あかあかと看護界をてらすことができるかどうかは,今後の課題であるにしても厚生省に看護課が復活することは,看護行政の今後に大きな影響をおよぼすことになるであろう.
厚生省から独立課としての看護課が消え医事課の中に吸収されたのは31年3月末のことであった.中央官庁の行政機構改革,合理化の一環の中で,いくつかの課とともに,看護課も廃止された.なんとも,割り切れないできごとであったし,その理由は全国の保健婦,助産婦,看護婦にとって,納得のいきかねるものであった.しかし,このことが,地方看護行政にもたらした影響は大きかった.投げられた石の波紋がひろがっていくように,県における看護課,あるいは看護係は,少しずつ縮少への道をたどらざるを得ない状況であった.人員獲得もむずかしく,ひとり三役をひき受けるような形で,地方の看護係は,必死でこの苦境にたち向って来たのだった.「なんとかしなければ…」という焦燥から,何回となく,全国看護係長の話し合いがもたれ,「看護行政研究会」も発足したりした.そして,以来7年間,年中行事といわれるくらい,看護協会員は,折あるごとに陳情につぐ陳情を行なって,看護課の復活を願ったものであった.
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