ルポ
自活する老人村—伊豆山、寿楽荘を訪れて
大西 秀雄
pp.41-47
発行日 1957年10月10日
Published Date 1957/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201509
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民主々義とドライと
最近,民主々義という言葉はあまりはやらなくなったようだ,が,戦争がおわつたばかりの数年間というものは,社会制度,家族組織,人間関係など,ありとあらゆるもののあり方,ものの考え方に民主々義という基本的なイデーがあてはめられた.人権尊重も民主々義なら,男女平等も民主々義.それが最近はやらなくなつたというのは民主々義が否定されてもつとちがったイデーがうちだされたとか,あるいは,それが忘れられて昔ながらの逆コースの世の中に戻つてしまつたとかいうのではない.鳴り物いりでドンチヤカはやしたてなくても,すでに民主々義的なあり方やものの考え方が,日本人一般のなかにしみとおつたせいである.これは大へん結構なことだ.人権尊重も男女平等も,すでに常識になつたのである.
家族制度も以前にくらべれば,ずつと民主的になつた.家族のなかで一ばん偉く一ばん威張つている専制君主的な存在はオヤジだという考え方や,一たんその家に嫁したらヨメは舅や良人に隷属し子に従わなければならないという考え方や或いは長男は必らず世襲的にその家を継ぎ親たちの老後の世話をみなければならない義務があるという考え方など,ちかごろではかなり否定され,修正されてきた.これも大へん結構なことだ.が,とにかく日本人は何百年にもわたる長い間非民主的な—いわば封建的な土壌のなかで育つてきたのである.
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