『事業場保健婦の手記』
健康管理における保健婦の悲喜曲
飯田 俊子
1
1東京市外電話局医務室健康管理科
pp.21-24
発行日 1957年10月10日
Published Date 1957/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201505
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私が公社の診療機関に勤務するようになつたのは,昭和22年のあの混乱を極めていた頃で,とくに食糧不足と不衛生はひどかつた.
当時の医務室はX線撮影の設備もなく,道を隔てた現在の通信局の健康管理室まで検診を受けに行かねばならなかつたし,又職員も結核に対して関心もなく,まして健康診断の受検率100%なぞ考えも及ばない状態であつた.それから2〜3年後にやつと倉庫を改造して,健康相談室というものが出来た.其の頃は未だ化学療法も外科療法もなく,結核と診断された者は,死の宣告を受けたような絶望におちいつたのも無理なことではなかつた.そのなかで私には忘れることの出来ない後味の悪い記憶が想いだされる.それはTさんのことである.
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