Ⅰ 保健婦鞄とともに
私の駐在日記から—愛育村一カ年を顧みて
上迫 静枝
pp.6-11
発行日 1955年11月10日
Published Date 1955/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201052
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私の駐在しています生馬村は,黒潮の香も高く南紀が誇る浜木綿で名高い白浜温泉の湯煙を望む隣村として,東西20粁南北4粁の雑木林にかこまれた帯状に細長い戸数320戸人口1700人のそして鉄道海岸沿線より遠く離れ文化の恵に遠ざかつているかの如く平々凡々とただ一日四往復のパスに新しき時代への息吹きを求めている半農半林の一僻村であります.従つて経済的にも余り恵まれず衛生知識も低く之に拍車をかけているのが無医村という事で病気になれば自然と迷信邪教に頼るという状態でありました.
昭和29年6月愛育村発足に当り県より村当局に母子モデル村指定に対する説明会を催されましたが村当局では指定村に対する補助金について,或は母子問題より蠅や蚊をなくす環境衛生をと希む声が多く母子指定村としての県の意向が一回の説明会では充分徹底しませんでした.一般の公衆衛生に対する認識滲透の不足と予算面の不充分を痛感し今更の如く駐在保健婦に課せられた使命の重大さを思い,責任と危惧を感じましたが,反面此の様な村でこそ真の保健婦業務を推進し保健所事業を一般に理解せしめ,公衆衛生の向上に尽す事が私否全保健婦に課せられた使命ではなかろうかと感じ,上司同僚の激励を身に鞭打ち乍ら初めの駐在保健婦として一歩踏み出してみました.
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