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まずはじめに,なぜ私が今回の精神病理・精神療法学会を運営委員会の責任において討論集会に切りかえる線を強く押したか,その理由をのべるとしよう。私は金沢学会において,若手諸君が現代の医療危機や医局講座制の腐敗を叫ぶのを聞いていて,まったく別の危機感を持った。というのは私に彼らの説くところが理解できなかったという意味ではない。また彼らの説くところは誤っていると思ったわけでもない。ただ彼らを駆り立てて造反に走らせている危機感は,単に医療危機や医局講座制の腐敗ということだけでは説明できない,と思ったのである。何かそこにはもっと深いものが動いている。彼らは自らが精神科医であることに深刻な疑義を抱き,これまで当り前としていたことをすべて怪しみだしたので,かくも爆発的なエネルギーが放出されたのではないか。私はそう考えたので,たまたま次の徳島学会のシンポジウムの主題が会員にはかられたとき,「精神科医とは何か」というテーマを提案したのである。私はこの根本的な問題に立ち帰らないかぎり,そしてそれについて新たな自覚がもたらされないかぎり,われわれの間に起きた混乱と分裂を収拾する道はないと考えたのである。
不幸にして私の提案は採用されなかったが,しかし今回の精神病理・精神療法学会の討論集会実行委員会が最初に配布したパンフレットを見たとき,私はまさに自分の狙いに狂いはなかったと感じた。というのはそこに私は,医療危機や医局講座制の問題を主体的に受けとめようと悩んでいる若手諸君の姿を見たと信じたからである。もはや袖の下の鎧など問題ではなかった。このように真剣に悩む若手諸君に一日の長あるわれわれが全心全霊をもって答え返すことができなくてどうしよう。彼らのゲバルトに屈するのではなく,彼らの意図に迎合するのでもなく,まさに彼らの問題を明るみのもとに照しだして徹底的に討論しよう。私はこのように決心したのである。
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