音樂講座
ポピユラーな民謡6章の内—(イタリア編とロシア編)
山本 金雄
pp.42-44
発行日 1955年4月10日
Published Date 1955/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200938
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アメリカ,イギリスと廻つた民謡の旅も,いよいよイタリヤへやつて来ました.アメリカ,イギリス,果てはドイツ,ロシヤに比べて気候は温かく,いつも乾燥しているのでイタリヤ人は,性格の明るい,いつも外へでて思う存分声を張り上げて唱いたい気分になる.
そこでイタリヤ民謡というのは,他の国に比べて,非常に明るい.思う存分声を出して唱う民謡が多いのです.サンタルチアにしてもオ・ソレ・ミオ,帰れソレント,遥かなるサンタルチア,フニクリ・フニクラ等どの民謡にも一カ所や二カ所は高い音で充分に声を出せる樣な場所が出来て居ります.サンタルチアにしても,一番最後のサンタルチアと歌うタの音は充分に延ばして歌う樣になつて居り,オ・ソレ・ミオでも,この曲の中で一番高い音は延長記号が付いてなくても,その音を延ばして歌う習慣になつております.殊にロシヤ民謡のシヤリアピンと相並ぶ歌手に,イタリア民謡には不世出のテノールのカルーソーがおります.彼は20世紀初め世界第一のテノール歌手として君臨,その全盛時代は主にアメリカで活躍し,病を得て生れ故郷のナポリに帰つて療養していた処,今から34年前に48才で歿したがその美声はレコードにして今だに我々の耳を楽しませてくれる.
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