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おてなめ/「おてなめ」を読んで
渥美 京子
1
1愛育研究所
pp.67-72
発行日 1955年3月10日
Published Date 1955/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200925
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痩せ我慢にも敗戰の憂いを感じない訳にいかなくなつた昭和20年の1月の未,空襲警報下に私は長男を生みました.その頃はとにかく指の2本や3本無くても仂く時代でして,子供が生まれたからと云つて急に退職する事も許されず,大きなお腹をかかえ,又生まれてからも子供を預けたり或は連れたりして,学童疎開で残り少くなつた小学校の教壇に立つておりました.体は丈夫なのに,お乳が少くて,退職する頃には全然といつて良い程出なくなつておりました.3月9日の大空襲を境にミルクの配給が急に少くなり又遅れるようになりました.全人工栄養の子供に月2ポンドという有樣でございました。その中,夫は再度の出征,頼る人も無い疎開先で,ただただ牛乳を売つて貰う事で1日を暮す有樣でした."東京者は呑気だ"など陰口をきかれ,子供は年中下痢を起こしてはお医者通いで絶食を命じられ,私もそれを守つたのだからたまりません.今思えば栄養失調から来る下痢だつたに違いないのです.1年3カ月の時に,7キロ程しかありませんでした.終戰後,はじめての選挙の時,水筒の水を飲みながら街頭演説をしていた社会党の候補者F氏のしわがれ声を,私は忘れられません.
"お母さんの体は痩せきつております.なんでこの体から一滴のお乳が出るでしよう!!赤ん坊にミルクを……赤ん坊にミルクを与える事こそ私の第一のお約束であります".
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